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母親の愛情は消えることはなかった

「母親の愛情は消えることはなかった」

母親の愛情は消えることはなかった
自分の名前もわからなくなっても
母親の愛情は消えなかった

遠く離れて暮らす娘が居る場所に
TAXIを飛ばしてやって来た
裸足のまんまでやって来た

その夜娘は旅立ってしまった
誰も知らせなかったのに
娘の隣で眠っていた

母親の愛情は消えることはなかった
自分の名前もわからなくなっても
母親の愛情は消えなかった

母親の愛情は消えなかった

昨日は思い出の詰まった相模原に行った
従兄弟が相模原の学校に勤務していて、その近くに思い出の場所北里大学病院がある
33年前、今は思い出の中、まだあたたかい
娘が旅立つ日、知らせてなかった、知らせられなかった、病気や母の事を考えると知らせないと判断をした
でも、
山梨にいるはずの母が相模原の病院にいる僕たちの目の前に現れた
消灯時間が過ぎてロビーにいた僕の目の前に現れた
驚きながらも混乱の中間もなくして医師から説明を受けてる間に母は娘の隣のベッドで寝てしまっていた
静かで穏やかで永遠にも感じられる時間だった
混乱の中だったから色々なことは断片的で記憶も定かではない
でも確かに娘の最期に居合わせた
次の朝黒い長い車に乗り久しぶりに家族3人一緒に山梨に送ってもらいました
母の看護師さんか主治医の先生の心遣いだったのかわからないけど
わからないままです
間違いなく最期に間に合いました
相変わらず支離滅裂な母でしたが
驚いたのは医師から解剖の話になった時母は「しません」とハッキリ言ったのです
来た事もそうだけど、この言葉に母親を強く感じ、何があっても守りたいと思った強烈な出来事になっています
この時母は50歳、娘は22歳、僕は25歳でした
母の中では娘はまだ生きています
母の生きる世界を大切にしていきたいと思います
母の存在が誰かの生きる励ましになれたら母の生まれて来た日も輝くのではないかと思い、昨日の相模原の帰り道に書いておいたものを次の朝見返して、誰かの「生」に繋がってほしいと思いここに記しました
この世界にある全ての歌はお母さんって呼んでるんじゃないかな
理屈じゃ計り知れないものがあります
~母親の愛情は消えることはなかった~

2024.10.26 [ ブログ ]

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