インフルエンザ流行で今日は面会出来なかった
2月中旬まで規制がかかりそうだ
待つことなく会えるというは、幸せなこと
極端だけど 戦争へ夫を見送る妻や家族の気持ちを考えると
想像を超えて 辛い
待つことなく会えるにはどうしたらいいか 考えていかないとね
母が入院したのは僕が中学生の時
父が亡くなり 心が壊れて 人里離れた鉄格子がある病院に入った
もしかしたらその前から そうだったかもしれないが 覚えているのは
父が亡くなった時だったと思う
あまりにも強烈な出来事だったので その前のことが思い出せないかもしれない
辛い出来事だったけど
不幸が幸いに転じて歌を歌うようになった
嫌だった 母の病院のことは大人になるまで 言えずにいた
歌うようになって 歌で告白しました
歌があってよかった
14歳から両親は家にいなかったけれど
今は確かに 父や母に大きくしてもらったと言えます
躁鬱病(双極性障害)
母が37歳の時
それから77歳の今も病院
40年は長いなぁー
母の話をよくするのでマザコンみたいだけれど
毎日会えない気持ちがつい話してしまうのかな
待たないで会えるって幸せ
外泊の時は嬉しい
まだ間に合うと思っている
思い出を作りたい
出かけて写真を撮りたい
結婚式の時も 母はいなかった
いつその時が来てもいいように
妻のドレスは作った
僕もタキシードを作った
その時を待っている
待つことなく会えるって幸せなこと
迎えに行くところ